開学前史 1877~1948

学習院女子大学の前身である学習院女子短期大学が開学したのは1950年のこと。しかし短大誕生の背景には、1877年以来の学習院の歴史、近代以降に培ってきた女子教育の伝統があります。

学習院創立(1877年)

明治政府はそれまでの大名・公家を華族と呼び、その教育に力を入れました。華族のための学校として1877年(明治10年)に設立されたのが学習院です。当初から男女に門戸が開かれ、女子も満6歳から修学できましたが、女子の人数は男子の3分の1にも満たず、卒業する者もわずかでした。

華族女学校(1885年~1906年)・学習院女学部(1906年~1918年)

1885年(明治18年)、華族の女子のための教育機関として華族女学校が開校。華族の女子に対する本格的な教育の始まりです。「徳育」を重んじて質素・正直を信条とする華族女学校の気風は、1906年(明治39年)に再び合併し学習院女学部となってからも引き継がれました。

女子学習院(1918年~1947年)

1918年(大正7年)、校舎移転を機に学習院女学部は女子学習院として独立。満6歳から17歳までの本科11年間を3期に分けて一貫教育を行い、その後高等科を設立しました。

女子教養学園(1947年~1952年)

1947年(昭和22年)、学習院は財団法人(のち学校法人)となり、私立学校としてスタート。学制改革によって新制中学校・高等学校が発足するに伴い、旧制高等女学校の卒業生を対象として、学習院女子教養学園を設置しました。

永田町の華族女学校校舎
正門門柱上の笠石は、現在も戸山キャンパスに保存されています。

永田町の華族女学校校舎

女学部専修科卒業生と教員(明治42年)
女学部は小学科6年・中学科5年・専修科3年の課程をおき、専修科には現在の大学生にあたる年代の学生が在籍していました。

女学部専修科卒業生と教員(明治42年)

女子教養学園 日記録
日記録によると、講師陣には辰野隆(仏文学)・中野好夫(英米文学)など各界著名人の名前が見えます。

女子教養学園 日記録