【研究成果】日本列島におけるモモの伝来をめぐる諸問題-伝来時期、古植物学、遺存状態の検討-
同志社大学文学部教授 水ノ江和同、学習院女子大学国際文化交流学部教授 工藤雄一郎、千葉大学大学院園芸学研究院教授 百原新、山形大学高感度加速器質量分析センター教授 門叶冬樹は、日本列島におけるモモの伝来をめぐる諸問題について共同研究を行いました。
モモは中国原産の外来植物です。日本列島への伝来後は、日本文化に深く根づいた植物であることから、その伝来時期や要因を探ることは、考古学・歴史学・植物文化史学的に極めて重要です。
これまで日本列島でのモモの出現は、発掘調査資料から縄文時代と考えられていました。しかし、日本では年間約8,000件の発掘調査を実施しながらも類例がほとんど増えないことから、その年代に研究チームは疑念を覚えました。そこで、縄文時代および弥生時代早期から前期のモモ核(種子を含む堅い部分)とされる既存資料(長崎県伊木力遺跡:縄文時代前期,滋賀県入江内湖遺跡:縄文時代早期〜前期,佐賀県菜畑遺跡:弥生時代早期〜前期)の放射性炭素年代測定を実施したところ、いずれも弥生時代中期以降の年代が得られました。このことから、以下の4点が問題提起されました。
- 縄文時代にモモが伝来した可能性はかなり低くなった。
- モモは、弥生時代開始期の稲作文化と共に朝鮮半島から伝来したのではなく、青銅器の国産化、首長墓の出現、渡来人の定着が考古学的に確認できる弥生時代前期末から中期初頭であった可能性が高まった。従来、稲作伝来を大きな文化的画期としてきたが、弥生時代前期末から中期初頭の画期を今後は大いに再評価すべきである。
- モモ核は、年代とともに大型化する説もあったが、今回の年代測定により、この説に疑義が生じることとなった。
- 低湿地遺跡などでは、モモ核などの軽くて丸い遺物は、発掘調査時点では認識できないほどのかなりの移動があり注意を要する。
仮説A:弥生時代開始期の稲作文化と共に朝鮮半島から伝来し栽培されたと考える古くからある説。
仮説B:モモの野生種が日本列島にも存在した可能性を考える仮説。
仮説C:縄文時代前期ごろにモモが伝来した可能性を考えるが,散発的な交流からごく限られた一時期にモモが持ち込まれたと考える仮説。
仮説D:縄文時代前期にはモモが伝来し、それ以降の縄文時代を通じて栽培が行われていたとみる仮説(研究チームの研究以前に最も有力だった仮説)
仮説E:モモの伝来と栽培の始まりは、縄文時代でも弥生時代早期でもなく、弥生時代前期末~中期初頭に朝鮮半島との交流が活発になった段階とみる仮説。今回、研究チームが新しく提唱するもの。
モモ核の年代問題に端を発した今回の研究ですが、従来の通説に再考を促す要素が多々あり、さらなる今研究の進展が期待されます。
【発表機関誌】
機関誌名: 日本考古学 59号
刊行日: 2024年10月19日(土)(一般社団法人日本考古学協会2024年度大会当日に刊行)
論文タイトル: 日本列島におけるモモの伝来をめぐる諸問題 ―伝来時期、古植物学、遺存状態の検討-
筆頭執筆者: 水ノ江和同(同志社大学文学部教授)
共同執筆者: 工藤雄一郎(学習院女子大学国際文化交流学部教授)
百原新(千葉大学大学院園芸学研究院教授)
門叶冬樹(山形大学高感度加速器質量分析センター教授)
【取材に関するお問い合わせ】
学習院女子大学 事務統括部事務運営課 広報係
Tel: 03-3203-7784
E-mail:gwc-off(at)gakushuin.ac.jp ※(at)は@に置き換えて下さい.
以上