学習院女子大学 学術シンポジウム「日本近代再考」 実施報告

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 12月2日(土)の午後1時より本学223教室において、学術シンポジウム「日本近代再考」が実施されました。
 残念なことに、マイク・フェザーストン氏が事情により急遽参加できなくなったため、プログラムを変更して、代わりに本学の時安邦治教授が司会とともに発表を行いました。

 司会者が問題提起も兼ねて行った第1発表「忘却される近代――鶴橋・猪飼野から考える」では、在日コリアンを通して日本の近代史を眺め直し、近代のネイション形成と忘却の問題が論じられました。近代とはそう遠くない過去であり、歴史として形をなすために積極的に何かを忘却しなければなりません。近代とは忘却の残余としての記憶であり、何が忘却されたのかという問いこそが、近代とは何なのか、そこからわれわれは何を学びうるのかという点に大きく関わるのでしょう。したがって、不断に近代を問題化し、再考することは、人文・社会科学にとってきわめて重要な意味をもつと言えます。

 第2発表「近代性のアンビバレンス――E. レーデラーと桑田熊蔵の日本研究 1910-1940」では、シュヴェントカー氏(大阪大学大学院教授)が、ドイツのエミル・レーデラーと日本の桑田熊蔵という、いずれも今では忘れ去られようとしている2人の思想家・研究者についての報告でした。この2人が顔見知りであった証拠は見つかっていませんが、少なくとも、この時代には学術雑誌を通じて社会問題研究家たちの国境を越えた研究交流があり、国際的な社会問題への関心を醸成していました。

 木村絵里子氏(本学非常勤講師)の第3発表は「〈外見〉の発見と日本近代」というタイトルで、芸妓の写真を題材として、写真という新しい技術が近代の日本人の「見る」経験をどのように変容させたかが分析されました。技芸の写真はもともと日本にあった浮世絵の美人画の手法をまねた表現をとっていましたが、そのうち全身の姿や着物の柄などより芸妓の顔に注目するようになり、そこに女性を対象化していくプロセスが浮かび上がります。

 第4発表、玉利智子氏(ロンドン大学ゴールドスミス校講師)の「消費文化、近代化、20世紀初頭の日本の百貨店」では、三越百貨店と流行会が取り上げられました。百貨店は西洋風で、モダンで、スタイリッシュなものをスペクタクルとして展示する空間であり、そこはまさに近代を人々にイメージさせる場所でした。そこでは、流行会の人々がブルデューやフェザーストンの言う「文化仲介者」として近代文化の消費の仕方を提案していました。また、百貨店は着飾った女性たちが集まり、社交を楽しむ場所であり、ある意味で女性のための公共空間として機能していました。

 フロアからも質問や意見を多数いただき、大変充実したシンポジウムとなりました。

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